2010年6月26日土曜日

嬉しくて込み上げるため息

知らない間に、そっと助けてくれていた。
今日はそんな出来事を知らされた。
嬉しくて込み上げるため息がでた。
頑張らなきゃ!

嬉しいことはずっとココロにしまって
いつか恩返しができるように。

悪いことは忘れちゃえばいい。
嫌なことは忘れちゃえばいい。
自分が悪かったことだけを反省すればいい。
自分がどうするべきかだけを考えればいい。
その次にどう動くかだけを考えればいい。

うん、バレーをやっている時と同じアタマでいればいい(笑)。

2010年6月20日日曜日

素晴らしい指導者

一昨年前まで、我が息子達がお世話になっていた先生のことです。
昨年4月に異動されて新しい赴任先でもバレー部の顧問をされていました。
そのチーム、昨年はアンダーパスすら安心してみていられない、ポジションは間違える、ラリーが続くことなんてなかったのです。応援席も殆ど父兄さんがいらっしゃらなくて、我がチームが勝ってもなんとなく嬉しい気分になれないような状態でした。

それが、本日
そのチームは見事に生まれ変わっていました。
他チームとの対戦をずっと見ていたのですが、声が出る、トスがあがる、アタックを打つ、まあここまでは、毎日練習すればできるようになるでしょうが、それは他のチームも同じ条件です、上達する加速度が速かった・・・。で、私がもっと驚いた・・・というより感心したのは応援席です。観戦する保護者の方が、多くなっていたのです。しかも応援歌もできていて一丸となって応援していたのです。これはある意味、大人も感化され、地域でのコミュニティが育成されていく姿だと思ったのです。
子どもの成長、頑張りに触発されて大人まで足が動く、そんな風に子どもから動かされることもあるのです。
忙しかったり、疲れていたりすると「今日は勘弁してくれ~」と思うこともあります。でも一生懸命やっているかと思うと、行きは重たい足を右動かせ、左動け・・・と思いながら会場に向かうわけです。それが会場に着けば、もう疲れていることなんて忘れて見入ってしまうわけです。そしてなんとなく帰り道は考えさせられて、結果に関係なく見に来て良かった・・・と思わされるわけです。
そういった大人の興味までも引き出した先生。たった1年で、昇格され、また別の中学校に異動されたわけですが今日、区の大会を観戦されていました。
我がチームの子どもたちもその先生が来られたことを知って緊張と嬉しさを感じていたようです。先生から沢山のことを教えていただいて、今日から始まった最後の夏の大会。まずは区大会を優勝で通過。7月からブロック、都大会、そして目指す関東、全国。先を一緒に切磋琢磨して夢を共有できる仲間-。なかなかそんな巡り合せもない。どうか仲間を大事に、頑張って欲しいと思います。あっ、でも面白くないプレーしたら今日みたいにブーイングの嵐だからね。

2010年6月15日火曜日

排球万歳!

以前、ケガを恐れてバレー活動を休止することを書きましたが、
『好きなこと』を指くわえてガマンすることが、やっぱり、私には出来ませんでした…。いくらランニングをしても、他の運動をしても、サッパリ「ピン」とこないのです。今までもずっとランニングをしてましたが、何の為かと言えば、バレーの為の基礎トレーニング、体力維持でした。ですのでバレーを一時休止した間の、目的を失ったトレーニングはどうも味気なくなっていました。確かに、日々の体力維持も、それなりに目的でもありますが。

もやもやしていましたが…。

大きなケガしなけりゃいんでしょ?
ケガしても、明日に差しつかえなけりゃいんでしょ?
ケガした場合の策を立てときゃあいんでしょ?

『遊び』ではありますが、これでカラダも強くなって、空間位置能力鍛えられて、ゲームシナリオ描くことによって脳細胞が鍛えられて、声出して、喜んで、悔しんで、ある時は達成感、ある時は無力感、次までには策を立て直したり、仲間とのコミュニケーションで所属の欲求が満たされたり、または自省の念にかられたり、マサに人生の縮図が、試合にはあるように感じるのです。日常や仕事では殆どの事の結果は、分かるまでに長いスタンスが必要ですよね。しかも実際に良し悪しが余り明確でなくて
もやもやする。その点、バレーで言えば、ルールの中で、『相手のコートにボールが床に落ちる』、その時ナイスプレーヤーは9人制で言えば,多くて4人で誰かわかる。積み重ねて勝つ。ある意味短期、中期の結果で、長期目標の『優勝』に繋ぐ。
その、悔しさ、あるいは達成感が日常に感じるストレスとは流れは一緒でも、使用する回路が違うものだから、リフレッシュになるのです。私は。

…。言い訳が長くなりました。
午前中、クラブチームの試合に参加してきました。練習不足なのでベンチスタートでしたが、局面をむかえて監督より司令。
今日の私は終始冷静でした。ボールの流れが見えました。
いえ、そんなカッコいい話ではなく、面白くて仕方なかっただけです。
監督のいろんな事を考えた采配に、私は乗せてもらっただけです。面白いだけじゃなく反省すべき事がプレーだけでなく沢山浮かびます。
それら全てが、楽しかったのです。仏教的にいいますとね。

で、勝ちました。

2010年6月13日日曜日

久しぶりに音楽にココロが動く

昨日コアコントレーニングを受けたのと
今日も動いていたので、もーカラダが動かない。

こんな時は剛だ。
有心論よりも、剛だ。
ごめん!有心論、若い子に勧められるんだけど。
歌詞もなかなか・・・とは思うんだけど。
おばさんには分からんのだ!

2010年6月11日金曜日

不必要な病

精神科医、エリザベス・キューブラー=ロスさんの、死を宣告された人がたどるとされた5段階の精神的なプロセス

「否認」→「怒り」→「取引」→「抑うつ」→「受容」
これは、強烈な衝撃を受けたストレス反応と同じだ。
自分は今はどこにいるのか、このプロセスに当てはめて客観的に判断できれば、不必要な病にならずに済むのかも知れない。

2010年6月9日水曜日

同窓生

ほけぇっとしているところへ、
前ブログで登場した米田くんから
「オレオレ!」電話。
大学の同窓会の企画でマキを入れられた。

あわてて携帯で連絡を取り始める。

何年しゃべってなかったんだろうか。
いや、もう20年近く会っていない人もいる。

いきなり
名乗らず、「わたし!わたし!」で始まる会話。
全く変わらないみんな大きい声。
状況だけ説明すれば、言わずにも気持ちを理解される安心感。
同窓生って、年取るほど嬉しい存在になるのですね。

何人集まるかなぁ。

2010年6月6日日曜日

2009年6月5日

去年の昨日、「自分」ということを短時間ではあるけど見失った。そういった体験を今までしなかったことがある意味で、私は幸せなのかも知れないけれど、その時私は初めて体感した喪失感だった。そのきっかけを話せば、もっと苦労している人がいるとか、そんなことくらいでとか、お説教をいう人がいるだろう。そんなことは後からつける理屈で、そんなんを引きずっているのではなくて、その空白になった体感が、忘れられないのだ。
それを心理学では自己崩壊と言うらしい。そういうことは一瞬にして起こってしまう。だから「脱同一化」の訓練が人間には必要なんだと、心理学の先生からご教授いただいた。

それ以前まで、自分の守るべきものが定まっていれば、たとえ窮地に陥ったとしても自分を見失うことなんてなかろうヨ・・・と、なんとなく思っていた。

人間ていうのはつらい記憶を忘れられるから生きていけるのだ・・・なんて聞いたこともあるし、私も3日もすれば、比較的痛みを忘れてケロッとすることが多い。

その体感した感覚を忘れられないのである。
ただ、忘れる必要はないと思っている。
一生考え続けたいと思う。

だから1日1回は、自分と向き合う時間を持つ。