2010年3月25日木曜日

考えさせられた1日

今日の仕事は、精神障害施設で働く方々への生活習慣病予防と運動のお話と実技をさせていただきました。参加者は精神障がいがある方々でした。

カラダに興味を持って貰うため、クイズ方式で話を進めました。活発な発言をしてくれる人が多く、また、参加者の仲間ならではの「突っ込み」など、コミュニケーションに助けられ、90分はあっという間に終わりました。

始めはファシリテータの役割。でも1度火が付けば後はこちらが提供する情報をするすると受け止めようとしてくれる。始めの10分が大事と、昔、私に指導してくださった先生が教えてくれましたが、本当にそうだな・・・今日、ふと思い出しました。その10分の為に私はどうしたらいいのか、上手く行かない時も勿論沢山ある。上手く行った・・・と思っても寝る前に反芻すると、「あの部分はもっとこうすれば良かった、ああしたら良かった・・・」と思わず布団を頭にほっかぶることが多いのです。でも次はこうしよう、ああしようと考える時間を充分に持たないことには、私には次がありません。今日、これから寝る前にそのような行動をするでしょう。

ところで3月22日の読売新聞の社説に「障がい」表記について掲載されていました。
今年のパラリンピックは、かなり多くの人に関心が広まったと思います。

数年前には「障害を持つ」人→好きで持っているわけじゃないんだから「障害がある」人となりました。
今は「障害」→害という感じは否定的な意味、印象が強いので「障がい」に改めようと、国でも論議が始まったとのこと。英語圏でも「ハンディキャップド」から「パーソン・ウィズ・ディスアビリティ」が一般的になったそうだ。今回のパラリンピックでもそのように表記されている。表記が変更される大きな目的は言葉の正確性ではなく、呼ばれる側の痛みの反映でもあるとのこと。

障がい・・・。私は、身体に大きな支障がなく生まれました。
持って生まれた、他の人とは違う「個性」を何と比べて障がいとするのであろうか。お互い得意でないところは補い合って生きているのは皆同じだ。呼ばれる側の「痛み」と感じさせてしまうのは何なのだろうか。

今日、お坊さんのお話を伺う機会がありました。ある地域では、葬儀の後、祭壇に飾ってある生け花を参列された方々に持って帰ってもらうそうです。そのときに、人間は、形のいい、きれいな花だけを持ち帰り、崩れてしまった花、華美出ない花は残されるとのこと。
「人間はそうやって知らず知らずのうちに、優劣をつけてしまう生き物なのです。」

とてもとても考えさせられるお話でした。


最後に右の写真は近所の桜の蕾。
地面から20cmほどの木肌にひっそり。
踏み潰されないでくれ・・・。
今週末には咲くでしょうから、また撮影に行きます。
頑張ってよ~!!

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